トップレビュー > MOTHER 3 超ネタバレ込みの感想

MOTHER3

超ネタバレ考察

機種 GAMEBOY ADVANCE
発売元 任天堂
発売日 2006/4/20
ジャンル RPG
価格 4800円[税込]
備考 奇妙でおもしろく そしてせつない
プレイ時間 20時間くらい

 

 (4月28日の日記へいろいろ付け足したものです。)

 ※クリアしてない人は絶対、

 ゼーッタイ見てはいけません。








 OKですか?

 OK?本当にOK?後悔するなよ?今から下にはクリア後感想書いてあるんだからね?
 MOTHER3はネタバレされたらいろんなものが全て半減する稀有なゲームなんですよ。

 だから、プレイしてないけどちょっと興味ある なら絶対見ちゃいけない。わかった?




 あと、クリア済みの人はクリア済みの人で、やっぱり不快になるかもしれません。全部受け入れたらではどうぞ。
























 ・・・・・本当にいいの?後悔しない?



























 シナリオ考察。








 いい話ではあった。感動も無論した。
 しかし、これをハッピーと。グッドなのだと。受け入れていいものか悩んでいる自分がいます。


 これが せつなさ か。


 何故か胸をよぎるこのもの悲しさはなんでしょう。
 多くを語れとは言わない。蛇足的に物語を付け足せとも言わない。
 だけど。・・・・・・だけど。











 『本当にみんな幸せになれたんだろうか。』




 この疑問だけ。氷解せずに残っています。
 そしてこの疑問は、MOTHER3を根底からひっくり返しかねない疑問なんだともわかっています。




 口で、幸せなんだ と言うのは簡単です。


 エンディング1回目は、確かにクリアの達成感含みで感動しました。

 みんな、口々に『幸せ』なんだと口にし、MOTHER2からの伝統、プレイヤー名をからめ、
 Thank you for Playing と言わんばかりにプレイヤーへ感謝を告げる人々。
 そうか、幸せになったか。そうかそうか。よかったじゃないか。

 最初は僕もそう思いましたよ。




 しかし、もう一度エンディングを見てみたとき・・・・・・、




 
僕はただただ『幸せ』と『ありがとう』を連呼するばかりだった村人達に。
 
そしてあえて姿を見せず真っ暗闇の中であることに寒気を覚えました。




 都会の暮らしを知り、便利さを知り、本来あってはならないものを多く取り入れても、
 彼らは幸せなんだと、便利なんだと、金があるのは豊かでいいことなんだと言い張りました。


 村人達にとっての『幸せ』とは、もろく、薄く、秋の空のように変わりやすいものなのです。




 ドラゴンの封印を解いたとき、彼らに何があったんでしょうか。
 元に戻った?どこまで戻った?それは文明機器が入る前にもどったという事?
 それは、一度便利さを知った村人にとって幸せといえるの?




 幸せになった?
 あくまで文明を否定して、ポーキーに戦いを挑み、最後に兄弟をも失ったリュカにとっての幸せとは?
 家族を失い続け、村人達に時代遅れだと蔑まれたフリントにとっての幸せとは?




 リュカは何も喋ってくれません。最後まで。
 最後の最後にプレイヤーが皆から感謝されたとき、リュカ、フリントは、どう思っていたんでしょう。何をしていたんでしょう。


 幸せだ幸せだと皆が何処かへ集まりプレイヤーを褒め称えている間、
 リュカとフリントは、全ての村人達に背を向け、二つに増えた墓へお参りに言っているんじゃないでしょうか。




 その絵が思い浮かんでしまったとき。
 暗闇の中で本当ならど真ん中で、僕なんかより遥かに賞賛と感謝を浴びなければならないはずの二人がいないことに気づいたとき、

 僕はこの物語をハッピーエンドなどとは到底思えなくなりました。




 僕は、あの世界で。あのストーリーで、本当に皆、全ての登場人物が、幸せになることは出来ないと思っています。

 ならば、と僕は最初、『ドラゴンの力で全てリセット』というエンディングを予想していました。

 第一章序盤に戻り。ヒナワが空に手紙を飛ばし、それが無事フリントの元へたどり着き、最後は4人で仲良く夕食を食べている絵で終了。


 ブタ軍団もやってこない。永久に何も知らずに終わり。




 起こってしまったこと全てを忘れる。それ以外に彼らがみな幸せになる道は無いと思っていました。




 だけど現実は、時を戻すことなく、失われた命が戻ることなく、幸せ の定義もあやふやなまま、終わってしまいました。
 村人は、文明の便利さ、金の素晴らしさを心のどこかで理解したまま。
 リュカ、フリント親子と村人の距離は一向に縮まらぬまま。




 全ては本当に・・・・終わってしまいました。




 ・・・・・・本当は。
 ドラゴンは何一つ、幸せを運ぶ奇跡など起こしてはいなかったのでは無いか・・・・と。そう思います。




 この、村人達が幸せを連呼し、犠牲の上で村人を救ったリュカ 
ではなく『プレイヤーだけ』に感謝を口にするエンディング。




 それはポーキーの、豚王の、前作主人公にしてポーキーの敵である『ネス』と姿と心がダブる、
 リュカへ、そして全ての感情の大本であるネスへの、最後の逆襲にして復讐だったのではないでしょうか。




 この物語の本質は、豚王の逆襲。
 お前達に僕が味わった永遠に続く孤独と悲しみを教えてやる―――――。
 ママがいないだろ?お前を称えてくれる人もいないだろ――――――?
 お前はそれでも、全てを信じられるか――――――――??









 ニャー!!




 さすがにこれだけじゃ、
 
『じゃあお前MOTHER3キライなのかよ仕舞いにゃ沈めるぞボケ』という話にもなりかねないので、これだけは言って置きましょうか?




 大好きです。超好きです。




 余りにエンディングでアレな考察をしたせいで絶対勘違いされてる方もいるでしょうか、はっきり言ってしまえばそのエンディング含みで最高。妄想含みで最高。

 何と言うかなぁ。
 CMに柴崎コウ出したりこどももおとなもおねーさんも的な見た目と裏腹に、黒い任天堂が見え隠れしまくっちゃってるのがいいよね。


 人の死。豊かさの定義。明るく楽しく『侵食』されていくような小さく濃くプレイヤーを襲う不安。
 そんなテーマ的なモノ以外にだって、

 主人公リュカの母ヒナワの死に様や、恋人を人質にされたサルサの描写、ポーキーとの決着。

 タネヒネリ島のトリップ描写はぶっちゃけ絵で描写されたら発禁レベルですよ。
 ちょっとその辺例を示してみましょうか?








 「ポストには なにも はいっていない。
 1000びきの ネズミのしたい いがいは。」


 「ポストには むすうの さけびごえが はいっていた。」


 「ポストには どこまでも つづく くらやみが つまっていた。」


 「ポストには じぶんの なきごえが はいっていた。」


 「ポストのなかは まったくの からっぽ だった。
 いくつも いくつもの からっぽが わきあがっていた。」


 「ポストのなかから だれかが のぞいていた!
 …ように みえたが むこうからも のぞいていた。」


 「みんなが おまえを まっているんだ。
 おまえに いしを ぶつけて つばを かけて ひどいめにあわせて やろうと まっているんだよ。
 みんなって・・・? おまえのすきなひと ばかりだよ。」








 とかね。

 母が死んだリュカの心の傷口を抉って抉って塩塗ってみたいな描写盛りだくさん。
 (2にもありましたね。ムーンサイド。)




 文章だけだったりコメディチックだったりするけどやってるこたぁ残酷絵巻みたいな描写盛りだくさんで。
 あったかいドット絵だからだまされてるというか隠されているというか。

 スクウェアあたりならイケメン少年が涙を流しておまけに美麗(笑)なムービーでダラダラと『演説』しちゃうような内容を、必死に隠そうとしてるふりして見せてる感じ。
 チラリズムってやつ?要するにそうなんじゃないかなぁ。

 必死にアピールされるよりも、隠れているものを必死に見るほうがニヤニヤしちゃうことってあるよね。(変態?)




 そこまで計算してるのかなぁ。糸井さん。
 だとしたらまさしく狂気の天才だよなぁ。

 しかも意識して書いてるなら絶対ニヤニヤしながら書いてるんだと思います。
 まともな面白い会話書くよりよっぽど楽しかったんじゃないかなぁ。その作業。




 一番怖いのは霊より怪物より人の悪意や悲しみ。MOTHER3でそういったものを全部隠さず書いたらひぐらしレベルだと思いますよ。
 
ニヤニヤゾクゾクするタイプの。




 ただ、本当に、本当にMOTHERシリーズ正当ファンには悪いけど僕はMOTHER3のこういうところが大好きなんです。

 暖かい?お前が感じるその熱は本当に人が発してる熱か?くけけけけけけけけけけkkっけえけkっけみたいな★


 ひぐらしもそうなんですよ。何度も何度も殺られてるとバッドエンドが楽しくて仕方なくなってくるんですよねぇ。
 この幸せな状況、この安定した状況をどうひっくり返してくれんのかなぁって。


 いろいろ書いてたら僕の考えも固まってきましたね。


 MOTHER3はRPG至上最狂の無常エンド。そしてそれで100点。








 ・・・・・ああ、ちょっと待って・・・・もうちょっとだけ続くんじゃよ?













 ・・・・・・あー。また勘違いされるわ。いやもう言い訳がましいんですけど、とりあえず乙一を読めとしか言えませんわ。
 もしくはジョジョ第4部の吉良吉影メインの回。

 とりあえずあの静かな狂気の快楽を知って欲しいと。




 まあ『感動』と言う言葉が近年凄く安っぽく感じるというのもありますけどね。
 『感動』なんて言葉はOLがたいしたこと無い泣き映画の宣伝でくっちゃべりゃええわぐらいの心境です。
 各レビューページを覗いたら、『感動しました』意見で統一されてたのでちょっと物申したくなったのです。


 やや難易度が高いMOTHER3という『ゲーム』をクリアして感動するのはいいですよ。そりゃアリです。全然。
 MOTHERシリーズ自体が好きで感動ってのも全然OKです。

 ただ、MOTHER3の『シナリオ』で感動ってのはなーんか違うよなぁと思うのです。あくまで『僕の意見』です。勘違いしないように。




 というのも、糸井重里が『人の死』を安易な感動に使うかなぁということなんですよ。
 そんな芸の無いことするか?と。


 人が死ぬ っていうのは、見てるこっちとしちゃ感動を生む1シーン足りうるのかもしれませんけど、
 ゲームの中の主人公達にしたらいろんな感情が渦巻いてますわな。綺麗な涙なんかじゃ決して無いですよ。
 死因となったあらゆるものに対して怒り、憎しむでしょうよ。

 普通のRPGってのは、世界観的な後日談を語ることは無いにせよ、主人公達の気持ちには決着を、ある種の回答を得て終わるものです。


 MOTHER3にはそれすらない。
 最後まで全く喋らない主人公。EDには出てくることすらない。(上の、暗闇の中で皆がプレイヤーを褒め称えるシーン。)
 上でも書いたとおりMOTHER3のエンディングには考察妄想の余地がありすぎるということなんです。


 だから、上のような考えもアリなんじゃないか って思って欲しいのです。
 決して、感動した! で終わって欲しくない。いろいろ考えて欲しい。




 あ。システム音楽の類はオーサと全く一緒。ちょっと難しいけど凄く良く出来てるし面白いですよ。
 だから、プレイして是非ちょっと考えて見て欲しいナァと思うのです。

トップレビュー > MOTHER 3 超ネタバレ込みの感想